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現代の日本人の死因の筆頭はダントツで癌であり、毎年20万人の人がこの世を去っています。これは、死亡者全体のほぼ4分の1に当たります。

以前は、癌になればまず助からないと言われていましたが、現在では早期の発見ならばほとんどは治るそうです。ただ、自覚症状が出たときには、すでにかなり広がっている場合が多く、そのため病院で亡くなられるケースが増えてしまうのです。

しかし、病院というのは本来病気を治療し、社会復帰を促すための場所であり、臨終を迎える場ではありません。病院というのは、あくまで<病気を治す>というのが基本的なスタンスですから、治る見込みが無い患者に対しては義務的に延命治療が行われる場合があります。

山崎章郎(ヤマザキフミオ)という外科医の先生が書かれた『病院で死ぬということ』という本があります。彼はその中で、末期癌で入院した78歳の男性のケースを次のように記しています。
 
その男性は、高熱とひどい咳による呼吸困難で、重症の肺炎のようでした。医師たちは、その男性に声が出なくなることを告げ、気管を切開しました。これによってこの男性は、声を失った代わりに苦しかった呼吸が楽になりました。しかし、それもつかの間、気管を圧迫していた食道癌が肥大し、手の施しようがない状態になりました。彼は、病状を聞くにも声が出ず、体の衰弱のため、筆談のペンもうまく握れなくなりました。

彼は詳しい病状は何もわからず、苦痛に耐える日々でした。病状は悪化の一途をたどり、ついにはものも言えず、体も自分で動かせず、ただベッドに横たわっているだけの状態が何週間も続き、彼は物言わぬ物体と化してしまいました。

医師たちには、早くからそういう状態になることはわかっていました。癌が極度に進行してしまえばなす術は無く、ただ命を延ばすという方針のもとに医療が行われました。彼は衰弱し続け、手足は枯れ木のようになりました。彼の妻は、その枯れ木のような手足を涙を流しながら黙々とさすり続けました。こんなある日、妻は悩んだ末に夫に本当のことを告げ、覚悟の上で最後の人生を送らせようと考え、医師たちに告げました。

 「夫の苦痛を長引かせるだけなら、もうこれ以上の治療はやめて下さい」

医師たちは、最終的には彼女の要望を受け入れ、延命治療から痛みを和らげる鎮静剤の大量投与へと切り替えました。彼は強制的に眠らされ、一週間後、目も開かず何も言えずに亡くなりました。彼にとってこの病院での生活は、苦しみ以外の何物でもありませんでした。

外科医であるこの著者は、「この老人の亡くなり方は悲惨なものでしたが、病院での亡くなり方としては決して珍しいものではなく、このような亡くなり方はしばしばあるのです」と記しています。

病院で、重症になり意思表示ができなくなると、少しでも長く生かそうとする延命治療が行われます。患者本人の意思とは関係なく、であります。治る見込みが無い場合であっても、ただ機械的に治療が行われ、患者はベッドの上で苦痛に耐えつつも、物言わぬ物体と化していくのです。

誰しも、いよいよこの世を去るとなると、やりたいことや言っておきたいことなどがあるものですが、何ひとつ出来ぬまま死を迎えることになります。1分1秒でも長く生かすという方針のもとでは、手足は枯れ木のようになり、意思表示すらできない物体となってしまう可能性があります。また、末期癌の患者が息を引き取った後でも、人工呼吸や心臓マッサージが行われたりするのも事実だそうです。

この著者は、次のようなケースもあったと記しています。

63歳の女性に、進行性の大腸癌が発見され、痛みを和らげるために人工肛門を付ける手術が行われました。この治療によって、彼女は痛みと吐き気という苦痛から開放されました。普通の食事もできるようになり、彼女は非常に明るくなりました。

しかし、彼女の体力が回復した頃、今度は彼女を看護していた夫に進行性の肺癌が発病しました。夫婦で一室を使い、妻は苦痛がなくなったことから、かいがいしく夫の世話をするようになりました。

一週間ほどして、夫が別の大学病院で手術することになり、離ればなれになってしまいました。彼女は「自分はもはや治らないけれども、夫だけは治ってほしい」という思いで一杯でした。

そんなある日、担当医が「今一番したいことは何ですか?」と尋ねました。すると彼女は、「一度でも夫に会えたら……」と寂しそうに答えました。彼女は日に日に衰弱しつつありました。担当医は子供たちに、「思い切って彼女を大学病院にいる夫のもとへ連れて行ってはどうか?」と提案しました。

「夫に会える」と聞いた彼女は、朝から興奮し、まるで病気が治ったかのようでした。彼女は子供たちに助けられて大学病院に行き、夕方になって帰って来ました。彼女が夫と一緒に居られたのはたった15分でしたが、戻ってきた彼女は看護師に、「もう思い残すことは何もありません」と、笑顔でお礼を言いました。彼女は疲れたのか、すぐに深い眠りに落ちました。

翌朝、担当医が眠っている彼女に声を掛けましたが、反応はいつもと違っていました。医師は驚いて看護師を呼び、手当てを尽くしましたが、彼女は息を引き取りました。担当医によれば、彼女がもしも夫の所へ行かなければ、あと1〜2週間は生き延びたと思う、とのことでした。彼女は自分の体力の限界を越えるのを承知で、熱い思いを遂げました。夫との面会はたった15分でしたが、彼女にとっては残りの人生の全てだったのでしょう。子供たちも、そういう母親に最後の思いを遂げさせて良かった、と満足感をもって見送れたといいます。

病院で迎える死は、少しでも生きながらえさせる、という方針のもとでの終着駅です。その過程においては、治療の手法自体は違っても、患者に対しての扱いは同じです。しかし、残された時間をどう使いたいのかは、人それぞれに違います。ここにあげたように、たとえ死期を早めることになろうとも、しておきたいことがある、という場合もあります。

こうした問題は特別なことではなく、人生の終末には当然起こり得る問題なのですから、そうした場面に出くわした時、自分はどう生きるかをしっかり見つめてみる必要があるのではないでしょうか。
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